表現力(2)

イメージ通りの表現ができるピアノ

私達はいつも、『演奏者がイメージする通りの演奏・表現ができること』に何よりも重点を置いて調整している。

例えば曲の中で、ここは弱く、ここは強く、ここからだんだん弱く…と、指示されたまま弾いているうちは、ピアノの状態が多少悪くても気にならない。

ところが練習を重ね、経験を積み、そして、曲に感情を移入し始めた時、演奏者は頭の中でイメージしてから音楽を表現するようになる。しかも一音一音を大切に。

そうなった時に、イメージ通りに表現できるピアノと、できないピアノがあることに気づく。

多くの種類のピアノを弾いてきたプロのピアニストであれば、原因がピアノ本体、もしくは調整不備のどちらかにあると気づくのだが、困った事に一般ユーザーの場合は、「思い通りに弾けないのは自分の実力なんだろう」と諦めている方も少なくない。

そんな壁にぶつかったとき、試して欲しい事は「いくつかの種類のピアノを弾いてみる」ということ。部屋の音響にも大きく左右されるので一概には言えないが、「自分のうちのピアノはけっこう弾きやすい」と感じたら合格点としていいと思う。逆に「自分のピアノは弾きにくい」と感じたら不合格。ゆっくり技術者と相談するべきだと思う。

自分の音楽を表現できない楽器を改善しないで使い続けることは、上達にも差し支えるということは言うまでもない。

ピアニシモが表現しやすいピアノ

ピアノを低音から高音まで5つのセクションに分けるとする。
(低音、次低音、中音、次高音、高音。)

ピアニシモを多く使用する曲で、次高音部においてはまぁまぁ思い通りに弾けるのに、中音部で思うように弾けないという経験はないだろうか? もしくは、次高音部では粒揃いな音が出せるのに、「左手の伴奏は粒揃いにならない」という経験はないであろうか? 粒揃いにならないことを理由にソフトペダルを使っている方はおられないだろうか? これらはほんの一例であるが、ピアノの調整に原因があることが多い。

バランスの良いピアノ

例えば、次高音でピアニシモを弾く。これと同じタッチで中音域で弾いてみる。

同じピアニシモが出るべきなのに「メゾピアノ」になってしまう。これは明らかに音量のバランスが悪い。ピアニシモのタッチでメゾピアノになってしまうのだから、さらに弱いタッチで弾かないとピアニシモが出てこない。こうなるとプロだって満足のいく粒揃いのピアニシモは奏でられない。結局、ソフトペダルを頼ることにさえなる。

さらにそんなピアノで、中音域が旋律、次高音域で伴奏、という曲を奏でるとしよう。中音域ではピアニシモのタッチでメゾピアノがでるのだから、まったく分けがわからなくなる。

私たち技術者は、一音一音の「音色」を揃えていく、良い音にする、のも重要であるが、低音から高音までの「音量」を丁寧にバランスよく揃えていくのは、さらに重要な仕事である。

よい状態の楽器で練習する意味

以前にも述べた事をそのまま引用させていただきます。

私たち技術者は、限られた時間ではあるけれども『弾き手がイメージした通りに応えてくれるピアノ』となるよう目標を置いていつも仕事をしている。

たとえ小さな子供や初心者が弾くピアノでも、「タッチによってこんな風に音は変わるんだ」という発見をいつでもできる状態に調整しておかなければならないと考えている。

ピアノが弾きやすくなる(思い通りに応えてくれる)と、弾いていて楽しいしピアノに向かう時間も増えるし、曲にどんどん感情が入っていく。そうすると、ほんの少しのタッチや音色のバラツキにも気を使うようになるし、ますます音色やタッチにも敏感になってくる。 今までは先生に言われたとおりに、「ここは強く、ここは弱く、ここはだんだん強く…」。しかし、曲に感情が入っていくと、ひとつひとつの音の粒の形や色、流れまでも意識するようになる。

しっかり調整された楽器を使うことにより、表現力を養うことができるわけである。